大震災時に生きる公共空間

教育と施設,文教施設協会,No.51冬,pp.64−65,1995.12.




昨今の情報技術の進展は凄まじい。やっと覚えたソフトも2、3年もすれば新しい機能が付き、再びマニュアルと睨めっこをするか、その機能を無視して使うかの選択に迫られる。グラフィックや3次元ソフトを使ってみたいという声を良く耳にするが、例えそれを手に入れたとしても、仕事で使うか、よほどのヒマ人でない限り、扱いきらないで終わってしまう。商品の価値というのはそれを取得した時の性能だけではなく、それをどれだけ使いこなしたかという使用頻度との積だと思うのだが、生産者も消費者も取得した時の性能ばかりが興味の対象となり、それをどのように使うか、どれだけ役立てたかという視点がなおざりにされてしまっているのではないか。最近の、いわば生産垂れ流し状態に対してかすかな憤りを感じてしまう今日この頃である。
公共空間に対しても同じようなことが言える。莫大な予算をつけた公園も、賑わいのあるパースどおりに設計された遊歩道も、自治体の管理その他の問題でうまく使われていないことがどれほど多いことか。いくつかの例を上げて日本の公共性を考えてみたい。


関東大震災後の復興公園


昭和の初めに震災復興公園として東京市内で51箇所の小公園が整備された。当初は関東大震災の教訓を生かし、オープンスペースを確保するために小学校と隣接させ、校庭を一体的に使用できるようにしていたが、それから70年もの月日がたち、事態は変わってしまった。
文京区にある元町公園は元町小学校と一体化していたはずだが、現在は小学校との境界が完全に遮断されている。公園の中は隣接する小学校や幼稚園と対照的に子供の賑わいがなく、仕事の合間に佇んでいるサラリーマンがわずかにいる程度で、滑り台やシーソーも使われている気配はなく、朽ちており、生い茂った樹木と高層ビルのせいか陰欝な印象を受ける。

public4.jpg (47832 バイト)
元町公園にできた仕切り


港区にある南櫻公園は昭和初期に比べ面積が大幅に減少したものの、隣接する御成門小学校との一体的な構造は形をとどめている。しかし管理上の問題からか周囲との境界は柵で囲まれ、唯一の入り口には閉鎖的な鍵付きの門と威嚇的な公園の注意書きが添えられている。

public2.jpg (46477 バイト)
学校と公園は仕切られていない(南櫻公園)

public3.jpg (46561 バイト)
南櫻公園の柵


元町小学校の場合は公園から完全に隔離することで公園内で起きた事故などの責任を回避し、小学校の管理を容易にしている。また御成門小学校の場合は、公共空間である南櫻公園を小学校の一部にしてしまっているようなもので、その公共性は公園の注意書きに従えば、事実上奪われてしまっている。学校と一体化していた震災復興公園のほとんどが、元町公園か南櫻公園のような運命を辿っているのではないだろうか。その他にスプロール化と都心部の開発によって消滅してしまった公園もあるが、震災復興公園として整備された時と同じ状態のまま、生き生きと都民に親しまれている公園は少ないであろう。元町公園と南櫻公園のどちらの運命を辿ったかはそれが属する自治体における文部省(教育委員会)と建設省(公園)の強弱関係による。いずれにしろ当初の防災的役割と公共的役割を兼ね備えたオープンスペースという機能からかけ離れてしまっていることは間違いない。


東京都防災公園


豊島区東池袋地区には辻広場と呼ばれるポケットパークが点在している。木造密集地区のミニ防災拠点としての機能を持ち、歩いていると突然出現するオモチャ箱のように楽しいそのポケットパークは、住民参加型まちづくりの結晶であるが、公共空間として有効に使われているかというと疑問が残る。年間一つか二つずつ増えている辻広場も新設された時はまだきれいで、住民も興味深くその動向を見守ってはいるが、十分ななメンテナンスがなされずにバイク置き場やゴミ捨て場に変わっていくところもある。また各辻広場の売り物であったはずの、子供の青空読書室も、一坪ほどの小さなプールも、休憩用のカウンターも使われている気配がない。公共空間として使われ続けるためには、計画的なメンテナンスとどのようにすれば商店街の買い物客がそこを利用するかというような具体的なビジョンが必要である。
防災拠点として大規模に整備された中野の平和の森公園や墨田区の白鬚東公園も、それを管理している自治体にヒアリングしてみると公園管理の上で次のような共通の問題点が浮かび上がってくる。
・ホームレスのたまり場になる。
・青年達のたまり場になる。
・サバイバルゲームなどをしてエアガンによってモノが壊される。
・産業廃棄物や自転車の放置置き場になる。
・野球、ローラースケート、サッカー、花火など危険な遊びをする。
・ペットによる糞が汚い。
・モトクロスバイクが危ない。
・水面の管理が大変である。
・夜間の管理が大変である。
・防災システムを管理する人材確保が難しい。
このような問題に対して管理者は規制を厳しくしたり、夜間立入を禁止したりして対処しているようだが、それは次のような構図で表される悪循環のわなに嵌まってしまっているように見える。

 規制が厳しい or 人々が快適に使おうとしない
⇒快適な公共性がない
⇒人が寄り付かない
⇒危険区域、スラム区域になる
⇒規制を厳しくする
日常的にいつも人々が集まり、愛されるような公共性を持ち合わせていなければ非常時の防災拠点として機能しないのである。


だれのための公共空間か


このような悪循環に陥る一つの要因として、日本人の公共性に対する感覚の問題があるのではないだろうか。
春秋になると多摩川の河川敷にはバーベキューをしに来た人々が集まり、活気づくが、東京都の公園管理の上では禁止されている。火気の使用を公認している公園は、都内にほんの一部にしかない。緑の下でバーベキューをしたり、テラスにテーブルを置いてコーヒーを飲んだりできる公共空間は、庭の持てない日本の都会人にとって魅力的な公共性を持っていると思うのだが、そのような場所は少ない。人々が公共の場所に出て何か特殊なこと(人間にとって楽しくて自然なコミュニケーションであるにも関わらず)をしようとするとどこからか人が来て、それを規制することが多い。僕たちもやっていたように子供がサッカー、野球を公園で行うという極めて自然な行為を、どうして「球技は危険だ」といって規制するのだろうか。本当に「他の人に迷惑」なのだろうか。管理の仕方を上手く行えば、そこで発生するかも知れない火事や怪我の問題を事前に防ぐことができる。
また人が集まるためにはオープン時には魅力的だった噴水や夜間照明を継続する必要があるが、維持費の問題からか次第に使われなくなってしまうことも多い。そうすると人は集まらなくなる。しかし逆に何かがきっかけで人が集まり出すと、そこは魅力的な公共空間になる。魅力的になると、そこを汚そうとする人は少なくなり、快適になり、さらに人が集まってくる。そのような環境は是非とも必要である。

欧米では公共空間を実に上手く使っている。アメリカンフットボールの球場駐車場では早めに来た連中が試合待ちの間、ビールを片手にバーベキューをしている。そういう連中が何組もいて知らない人にも気軽にビールをすすめたりする。日本でも花見などでそういう光景を見かけたりはするが、やはり日常的にそういう場をつくることは難しい。これは私の推論であるが、このような日本と欧米の公共性に対する感覚の違いというのは気候風土と関連した『住まい方』と大いに関連しているように思う。例えばヨーロッパの住居形式は古代ギリシャ・ローマあるいはエジプト文明に端を発する石の文化であり、その構造から大空間よりもプライベートな個室と個人主義が発達した。その反動として屋外に公共性を求め、広場の文化が生まれたのではないか。一方、日本は高温多湿の木の文化であり、寝殿造りに代表されるように開放的な住居の間取りが発達し、家の中のプライバシーとパブリックがあいまいな住居形式であった。その反動から公共空間にいながらも、自分を外部にさらすことを控えてしまい、その結果、積極的に楽しい公共性をつくることが苦手になってしまったのではないだろうか。
サッカーダメ、野球ダメ、バーベキューダメ等と言っていたら、公共の公共らしさというのはどこにあるのだろう。何にもできないような公園は公園だろうか。危ないからといって何でも規制してしまう日本の社会は危険に対して過敏になり過ぎているのではないか。もう少し規制をゆるめ、人々に親しまれる公共空間をつくり、公共の中でいろいろな体験をすることによって、大人も子供も様々なモノを学び、成長していく。子供は友達や大人や老人と触れ合うことで、公共の中でしてはいけないことを学ぶ。そして自覚と責任感を身に付け社会に出ていく。そういう社会勉強から学んだ自覚と責任感からしか、公共での倫理感は生まれてこない。自治体は厳しい規制をかけずに自信を持った放任主義であるべきである。そうでないと日本においてベネチアのサンマルコ広場のように魅力的な公共空間は永遠に生まれてこない。
人が集まる公共の場を長期的な視点で計画的に設計すること。おとぎ話で旅人のコートを無理矢理脱がそうとする北風ではなく、太陽のような管理をすること。生きた公共空間をつくるために建築家と自治体の役割は大きい。そして子供を育てる場として、近隣におけるコミュニティの場として学校の責任も見逃せない。

公共空間として成功している事例もある。元町公園や南櫻公園と同じ関東大震災後の復興公園である中央区の箱崎公園は、隣接するIBMの公開空地や道路と連続することによって開放的で魅力的な広場となっている。公園中央には大きな石によって囲まれた噴水があり人々の憩いの場となっている。また学校との境界は柵によって仕切られてはいるが、土日は一般に開放している。
蚕糸の森公園と一体化した杉並第十小学校も地域に根ざした公共空間であるが、この憩いの場も地域住民の協力と学校側の理解があって初めて生まれたものである。

public1.jpg (60678 バイト)
箱崎公園の開放的なオープンスペース


維持管理と予算組立を計画的に行い、既存の公園を上手く使えば、新しくものをつくるエネルギーの数分の一で魅力的な公共空間が生まれるのではないだろうか。
「日曜日、近所の公園に行くとバーベキューをしているグループがたくさんいる。子供達の蹴ったサッカーボールが転がってきたので、それを拾ってあげると子供はお礼を言ってまたグループの中に戻っていった。目の前のレストランではカップルが話に花を咲かせ、老人がコーヒーを飲みながら本を読んでいる。自分もコーヒーを飲みながら、日曜のまどろみを堪能する。」
このようなシチュエーションは何も青山や広尾だけの話ではない。目を見開けばどこにでも眠っている。