Architectural Design Conference 1995 in Yokohama




建築デザイン会議 '95 IN YOKOHAMA

建築の想像力 未来空間ミュージアム宣言

ドックヤードガーデンの11日間



未来空間ミュージアム


1995年の1月、ワークショップの北山さんの紹介で、建築デザイン会議の一スタッフとして参加させていただくことになった。
今回のデザイン会議は、これまでの言葉だけのディスカッション形式を打破するために、建築家が作品をもって討論の場に参加し、言葉という観念の世界と作品という3次元空間とをリンクさせる試みであるという。開催地は横浜。強い磁場を持つ開港都市横浜の各ポイントに建築家による作品を点在させ、作品制作の一部始終を都市に対して公開し、空間美術館を企てるというものであった。夕方帰途につくサラリーマンの日常的な光景の中に、ある日突如として場違いなコンテナが現われる。2日、3日、1週間が過ぎる頃、コンテナは一つの美術作品へと昇華し、サラリーマンの歩きなれた道は都市美術館へと変貌する。点在していた七つの作品は最終日には横浜港を臨む倉庫前でライトアップされ、都市に新たな磁場を提供する。都市に開放された空間美術館というこのシナリオの中には、特定の場所に目的的に行って作品を鑑賞するという形式化された美術館に対するアンチテーゼがあった。都市という公共空間の中で、建築に何ができるのか。「建築の想像力 −未来空間ミュージアム宣言−」という企画はそのような経緯で生まれた。
しかし、当初の企画を具体化するためには、作品管理、コンテナ運搬、電気、電話回線、スタッフ、土地の権利などいくつもの障害を越えなければならず、それは決して容易ではなかった。結局、点在するはずであった7作品は終始一箇所に集められることとなった。
建築デザイン会議 '95 IN YOKOHAMAの併設展覧会場である「未来空間ミュージアム」の舞台として選ばれたのは、みなとみらい21地区ランドマークタワーのあるドックヤードガーデンであった。みなとみらい21という漂白された模型のような都市の中でも、極めて力強い磁場を持つ空間である。

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ドックヤードガーデンの11日間


10月13日 金曜日
・朝、クレーンの音で、未来空間ミュージアムは産声をあげた。持ち上げられたコンテナが次々とドックヤードガーデンに降ろされ、青、緑に塗装された箱が次々と並べられていく。空のコンテナは15日の日曜日までに、学生などボランティアを含むスタッフによって組み立てられていく。
・渡辺ユニット到着。モニターなどを運搬し始める。
・阿部ユニット到着。既に出来上がっている巨大なフレームがクレーンで降ろされていく。
・何が出来上がるのか、各ユニットの当事者にしかわからない。



10月14日 土曜日
・各ユニットが動き始める。ボランティアスタッフに学生が多いせいか、学園祭のような活気がある。黄色い花と土、発砲スチロール、金色のパネル、掃除機、老酒の瓶と香辛料、モニター、コンピューターなどが目の前を通り過ぎる。
・この公開設営展示も企画の一部であるが、ドックヤードガーデンを訪れた観衆は、何かの準備だと思っているらしく関心を示さない。
・夜遅くなってから、有馬ユニットの荷物が到着。手術台の照明、ベッドなど怪しげなものが車から出てくる。

10月15日 日曜日
・各ユニットの作品が次第に完成していく。作者本人から作品の解説を受ける。解説を受けた後、作者に質問を投げかける。建築家から講評を受けていた学生時代とは立場が逆転し、不思議な気分。
・日曜日のためドックヤードガーデンは人で賑わっているが、昨日と同様、作品には関心を示さない人も多い。観光客は、作品などほとんど眼中になくランドマークの前で、「ハイチーズ!」。

10月16日 月曜日
・一部を除き、作品はほぼ完成。本格的に展示が始まる。
・昨日の賑わいに比べて人が少ない。オフィスの職員が昼休みに作品を見てまわる。
青木ユニット:形のある状態を見たいという来場者が多いので、時々形をつくることにする。
隈ユニット :モニタートラブルのため連絡。
港ユニット :蝋燭とビデオの取扱について港氏から指示を受ける。
・東京家政大学の村田あが研究室の学生に対して作品を解説する。

10月17日 火曜日
青木ユニット:朝、会場に到着すると強風により白い型板が移動している。
有馬ユニット:風のため黒幕がはがれ、修復する。
入江ユニット:花が倒れているので入江事務所と花屋に連絡。土が少ないらしい。
隈ユニット :スタッフがモニターの修復に来る。
・横から入る強い陽射しによってピラミッドのように金色に輝くドックヤードガーデンは、客足が少なく、閑散とした雰囲気。
・隈ユニットを見ているおばさん達に作品を説明し、理解してもらうが、建築という言葉のイメージと作品との間にギャップがあるらしく、
「へえ、なるほどね、でも住んでも暗くて落ち着かないわよ。」
「これはつまり美術の一種なんです。」
「ふーん、美術ね。」
・来場者から、まだ始まっていないんじゃないかという声が聞こえる。
・70才位のおじさんが近寄ってきて、「壊れ方について質問があります。」と尋ねられたので、「どこかの建築評論家だろうか?」と身構える。
「地震が起こったとき、家具をどのように固定すればいいでしょうか。」と期待はずれの質問。
・他にも未来空間ミュージアムというタイトルから「快適なインテリアの展示かと思った。」「住宅展示場かと思った。」などの声が聞かれた。
・ここに何げなく足を運んでくる人々と建築家との、深い溝を感じ始める。

10月18日 水曜日
青木ユニット:一箇所穴が開いているのを発見
入江ユニット:紙がはがれているため入江事務所に連絡。電話を通して作品の詳細を教えてもらう。
渡辺ユニット:テープの接着力が落ち、コンテナまわりのパネルがはがれる
・昼過ぎ、アジア人を集めた会議がどこかで行われているらしく、アジア各国から来た人々が会場に現われる。インド人が「これは何だ、アートなのかビルディングなのか?」と質問するので、「時代と建築を表現したインスタレーションです。」と答えた。
・開催主旨にあるルイス・マンフォードの「都市はミュージアムである」という言葉をこのドックヤードガーデンの企画と照らし合せて考える。
・車椅子の老人と話をする。他の来場者と同様、偶然ここにまぎれこんだそうだ。その老人の言葉がいつまでも心に残る。
「鉄のコンテナは冷たかったが、黄色い花が車椅子の私を暖かく迎えてくれた。」

10月19日 木曜日
・朝、起きると疲労がたまっている自分に気づく。
・7つの作品に一日中接しているためか、毎日新しい発見がある。青木ユニットの発砲スチロールに囲まれた赤と黄色の風船。阿部ユニットの中で誰に聞かれるともなく奏でている原哲による不思議な音楽とランドマークの断片化された映像。作品中最も即物的な入江ユニットの黄色い花に込められたメッセージ。隈ユニットの超高速情報化社会と建築のあり方を表現した黒い磁場。渡辺誠のここ数年間の試みがひとつの結晶を見せた誘導都市。
・建築家とアーティストのメッセージが、自分の中に深く刻まれていく。

10月20日 金曜日
入江ユニット:朝、会場到着後、強風のため写真が一枚はがれていることに気づく。あわてて周囲を探し回り、清掃員が片付けようとしていた所を見つけ、回収する。
・入江ユニットに書かれたテキストを読み、考える。「アンプラグドな状態ってどんなもの?」
・有馬ユニットを体験する。何回目の体験だろうか。10分の1秒時報の間隔をずらしたことによって生まれた、時空間の歪んだ感覚が、妙に心地よい。
・夕方、公共アートのキュレーター志望という女の子が現われ、話をする。その後、一人の建築科の学生が各々の作品に対する考えをぶつけて来たので、阿部事務所の安藤さんと3人で議論を交わす。
・夜、有馬ユニットの作品リメイクのため、アルバイトと共に10時まで待機。港ユニットの中で作品を鑑賞する。コンテナ内部に広がる夜の海の映像に、蝋燭の灯によって映しだされる自分の陰が重なり、密入国者の世界に入り込む。

10月21日 土曜日
・デザイン会議初日のため会場にディスカッション関係者、オーディエンス等が詰めかける。
・建築家、アーティストが次々と到着し、打合せの後、作品鑑賞。荒川修作や山本理顕などの顔も見られる。
・目まぐるしい一日。

10月22日 日曜日
・デザイン会議二日目。未来空間ミュージアムの最終日。日曜日のため、活気に溢れるが、昨日ほど忙しくはない。
・夜6時過ぎ、関係者を集めたパーティーが開催される。
・展示会が無事終了したことに乾杯。入江さんにスライドをいただく。
・阿部事務所、渡辺事務所のスタッフと軽く飲みに行く。

10月23日 月曜日
・作品撤去の中、入江さん、有馬さん、港さん、ボランティアスタッフ、デルファイ研究所の事務局スタッフなどの意見・感想を伺う。
・徐々に作品が解体されていく。入江ユニットが作品に使った黄色い花を皆に配っている。
・クレーンがコンテナを一つ一つ持ち上げ、片付けていく。
・黄色い花をいくつかもらい、何もなかったかのように静寂の戻ったドックヤードガーデンを後にする。

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身体性と対象領域


今回展示された7作品は、コンテナというフレームとドックヤードガーデンという同一条件から出発点したにも関わらず、多様な展開を見せた。それらはドックヤードガーデンという場所性を主題とした作品、コンテナにこだわり続けた作品、作家としての関心テーマをこの場を借りて表現した作品など3つのグループに分かれるだろう。それは作品空間の対象領域をどこに置いたか、と置き換えることも可能である。
空間的な対象領域と共に作品を理解する上で、もう一つのパラメーターをここで設定しておく。それは身体性という軸であり、渡辺誠のモニターの中の仮想空間と港千尋の強烈な香辛料によって引き起こされる官能的な空間とを分け隔てる尺度である。
空間的対象領域と身体性という2つのパラメーターをマトリックスにのせてみるが、以下にその方法を述べる。

定義
空間的対象領域:作品が対象としている空間的領域。ここではサイトであるドックヤードガーデン、作品のフレームとなるコンテナ、作品内の仮想空間であるモニターの3種に分ける。それぞれ都市スケール(公共性)、ヒューマンスケール(身体性)、精神世界(非身体性)に対応する。

身体性
物質(空間に存在する実質的なもの)から加えられた感覚器官(肉体)の刺激によって、生じる経験的な性質・傾向。ここでいう建築・芸術における感覚器官の刺激とは視覚(形態覚・運動覚・色覚・明暗覚)、聴覚、嗅覚、触覚を指す。
キーワード
身体/からだ/肉体/器官/感覚/感性/物質/ハードウェア/空間/実在/時間/運動/現実/実在/体験/具象(具体)/経験/視覚/形態/運動/色/明暗/聴覚/触覚/温度/匂い/人の視点/主観的/相対的/可変/量

非身体性(精神性)
身体性の対立概念。最高の認識能力である叡知によってとらえられる超感覚的な性質・傾向。物質に対して観念的なものの根源性を対象とする。記憶、推理、目に見えないシステムやコンピューター論理。ここでは単にモニターを用いた仮想空間を表すことにする。
キーワード
叡知/認識/超感覚的/観念/思念/思考/意識/心的形象/抽象/空想/イデア/形而上学/客観性/精神/記憶/推理/神の視点/絶対的/不変/意味/質/コンセプト/ソフトウェア

評価項目
各作品について次のものを評価項目とする。
空間的対象領域:ドックヤード/コンテナ/モニター
身体性:視覚性(形態・運動・色・明暗)/聴覚性(音)/嗅覚性(匂い)/触覚性(触感)
非身体性:モニター

評価基準
空間対象領域と身体性/非身体性において、以下の基準にもとづいて評価する。ただし評価については各作品についての解説文、作家から直接受けた説明、自分自身の体験などから総合的に判断した。
◎:最も重点を置いたもの
○:計画的あるいは結果的に考慮されているもの
×:反立的に計画されているもの
−:考慮されていないもの

身体度
身体性/非身体性の度合いを表すために、◎を3点、○を1点(身体性項目はプラス、非身体性項目はマイナス)に置き換え、数値化したもの。大まかな方向性を見るために定義しているにすぎないため暫定的に設定した。

以上をまとめたのが表であり、空間対象領域と身体性/非身体性をマトリックスで表したのが、図である。これにより7つの作品が3グループに分かれた。以降でそれぞれの作品について述べていく。


ドックヤードガーデン −都市の劇場−


白くユニークな触感


UNIT 1:壊れ方について(青木 淳)
空間対象領域:ドックヤード
身体度:6
形態◎/運動○/色○/明暗−/音−/匂い−/触感○/モニター−
キーワード:生成過程/崩壊過程/かたち

いくつもの分子が構築されて形をつくる。建築すなわちある秩序をもって構築された分子の集合は、分子の配列によってつくられる様々な可能性のうちのほんの一特殊形態にすぎない。
青木淳は、コンテナを型取った特殊な形態が熱力学の第二法則に従い、崩壊していく過程の中で繰り広げられるいくつかの形態パターンを任意に抽出し、作品として表現してみせる。そして日曜日にだけエネルギーをかけた特殊形態、すなわちコンテナを型取った形態を提示するのである。「壊れ方について」というタイトルのついたこの作品から、マイナスのプログラムというものを思い出す。生物の成長過程の中では始めから死ぬべき運命を持った細胞が、プログラミングされているという。死ぬべき細胞が死なないと系全体が狂ってしまい、成長に支障を及ぼすということらしい。これをマイナスのプログラムと呼ぶが、このようなマイナスのプログラムコードを都市に当て嵌めることが今後、必要となるであろう。神戸の復興や東京臨海部の例を出すまでもなく、再開発など都市空間をソリッドで埋め尽くす今までのプログラムだけで、都市をデザインすることには限界がある。
決まった形態を持たないこの作品は、ビニール袋の中に発砲スチロールの分子が入ったもので、赤、黄の風船がアクセントになっている。放って置くとビニール袋の中に空気が入り込み、重力によって自然崩壊していく。何かの形態を作るときはビニール袋に差し込まれた2台の掃除機を使って真空状態を作りだし、固結化する。作品がどのような形態を持つのかはその時その時の状態に委ねられる。自然状態では布団のように優しく柔らかく、重力に逆らう力強さを持った真空状態では発砲スチロールの分子が固まり、岩肌のようなテクスチャーへと変わる。そういう意味でこのユニークな白い作品は触覚的である。青木は意図しなかったというが、この触覚的身体性を持った作品は、モニターを使用した非身体的な仮想空間に対して対照的である。

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ドックヤードを駆け抜ける赤いダイナミズム


UNIT 2:融合する身体(阿部 仁史+原 哲)
空間対象領域:ドックヤード
身体度:5
形態○/運動◎/色○/明暗−/音○/匂い−/触感−/モニター○
キーワード:ドックヤードを動く赤い物体(FA-1)

ランドマークタワーの白と、10m程もある岸壁のアースカラー。ドックヤードガーデンの無彩色の世界の中で、鮮やかな赤が踊る。ある時はコンテナという緑の格納庫に眠り、ある時は所狭しと会場を大きく動き、新たな形態を作り上げる。日毎に変化していく建築FA-1(Flexible Architecture)。それを構成している16本のフレームには8個の小型カメラが取付けられ、通行人やランドマークの断片化されたイメージが格納庫の中のモニターに映写される。モニターの横では、ラジオから拾った断片的な音を繋ぎあわせたリズムが繰り返し繰り返し流れている。誰に聞かれるでもなく孤独に奏でる原哲の不思議な音楽がFA-1の模型を演出する。スタティックなコンテナ作品に囲まれながら、ドックヤードを駆け抜けたFA-1は未来空間ミュージアムにダイナミズムを生み出した。

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都市はミュージアムである


UNIT 4:Unplugged(入江 経一)
空間対象領域:ドックヤード
身体度:4
形態−/運動−/色◎/明暗−/音−/匂い○/触感−/モニター−
キーワード:公共性/美術館/建築家とは

「未来空間ミュージアム」というテーマ設定には最初に述べたような経緯があったが、それが様々な制約によって制限され、最終的にドックヤードガーデンという固定された場所での開催となった。開催主旨の「ルイス・マンフォードは、都市はミュージアムだと言ったが、我々は横浜という未来へ向かう都市の場を借りて、生きた、移動する空間美術館を構想しようと思うのだ。」という言葉が、今回の展示と噛み合っていない印象を与えるのは、そのような理由からである。
当初は、固定された箱を訪れて目的的に鑑賞するという、形式化された美術館を否定し、都市空間に生き生きとした躍動を与える空間美術館をつくるはずであった。そんな中で進められた「未来空間ミュージアム」も気がつけば、天井が青空に変わり、入場料を取らないことを除けば、美術館という形式の範疇に置かれてしまっていた。人々はドックヤードガーデンという場を訪れ、階段を降りていき、コンテナを覗き込まなければ作品と出会えないのであった。
そんな中で入江経一は唯一人「都市はミュージアムである」という言葉にこだわり続けたのではないだろうか。わざわざ会場に降りて来てコンテナを除き込まなくてもいいよう、作品を覆い被せるコンテナを否定し、普段はドックヤードガーデンでは見られない黄色い花でコンテナと同じ面積を埋め尽くす。「黄色い花が優しく迎えてくれた」という車椅子の老人の言葉に象徴されるように、それは都市に開かれた公共的な美術館であった。
花壇の前には、Unpluggedというメッセージの書かれた11枚のスライドが掲示されている。スライドの中には、様々な自然を前にした建築的な物体が佇んでいて、人で賑わう市場を外壁に反射させている。まるで「美術館(感動する場)は都市のどこにでもある。それは君の心の中だからだ」と言っているようである。
この作品にはUnpluggedという重要なメッセージも込められている。高度情報社会の現代において、いろいろな環境がネットワークで繋がっている。その先に何があるのだろうか。電気コンセント、電話線プラグを抜いた世界に何があるのだろうか。入江はこの作品を通して、コンセントによって繋げられた世界の住民である我々に問題を提起している。この作品を作るにあたって何人ものボランティアが参加したが、展示会終了後に使用した黄色い花を皆に配布していた。短い時間ではあったが、花を植え、共に考え、時間を共有したことによって芽生えたコミュニケーションは、今後、Unpluggedな形で昇華していくのではないだろうか。

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コンテナ −海と空と官能と−


歪んだ時空間

UNIT 3:感覚の変容(有馬 純寿+コンプレッソ・プラスティコ)
空間対象領域:コンテナ
身体度:5
形態−/運動−/色○/明暗○/音◎/匂い−/触感−/モニター−
キーワード:交通/時間/住まい

「感覚の変容」はコンピューターで管理された10分程の周期を持つ作品である。青い絨毯と白いカーテンで綺麗に覆われたコンテナの中には、金メッキ製のベッドと電話が置かれ、天井にはかすかに血痕のついた手術用照明が取付けられている。まず照明が徐々に明るくなり、高速道路、鉄道、飛行機の轟音がコンテナ内に鳴り響くが、その音量のせいか、コンテナはかすかに振動し、まるで国際線の中にいるかのような錯覚に陥る。機内放送が終わると轟音は消え、身体に染み付いた、あの時報のリズムが時を刻み始め、やがて室内は暗くなり、時報が静寂の中に融けていく。
有馬純寿は「数ヵ月の間に各国を周り、その間の生活は飛行機とホテルの中だけであった。」という経験から、住まうことの意味を問い掛けている。この作品においてコンテナとは、飛行機による長距離移動が日常的に行われている現代の移動空間のを象徴である。その中では、昔ながらの住居の意味は消失し、寝る装置としてのベッドと情報伝達装置としての電話という形式だけが残っている。照明の明暗は数時間で地球の裏側に行ってしまう時差を表し、時報のリズムは地球の裏側にいても変わることのない絶対秒間を刻んでいる。しかし、ここで流れている時報は実際の秒間よりも長くなっており、身体に染み込んだ絶対秒間とのずれによって、時空間が歪んだような「感覚の変容」を体験することになる。飛行機と手術用照明、金メッキのベッドと歪んだ時空。コンテナの中は、キューブリックの映画のように漂白されたシュールな世界であった。

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身体の記憶


UNIT 6:交通と記憶(港 千尋)
空間対象領域:コンテナ
身体度:6
形態−/運動−/色○/明暗○/音○/匂い◎/触感○/モニター○
キーワード:密入国/異文化/コンテナ

闇に揺れる蝋燭と老酒の瓶。麻袋と様々な香辛料。嗅覚を刺激する強烈な匂い。波の音と夜の海。赤、青、緑の果実の山と市場の賑わい。繰り返し流れる地球儀と眼光の鋭い少女の映像。床にちりばめられた白い砂。
コンテナをコンテナたらしめるもの。港千尋の答えは密入国であった。コンテナは言わずと知れた移動の手段である。しかし、アフリカでは密入国の道具となる。当局は密入国者の足跡を発見するためにコンテナの外に小麦粉を撒き、難民は発見されないようにコンテナ内で息を殺して時を待つ。港は、難民が体験するコンテナという特殊な空間を、映像、音、強烈な匂いを用いて再現した。薄暗い中で、五感を通して突き刺さってくる不思議な感覚が妙に懐しい。子宮の中にいるような心地よさ。いつか夢で見たことがあるような体験。官能的な空間が、アジアをルーツとする我々の遠い記憶を想起させる。もうひとりの自分が映像の向こうに生きているのではないか、という思いが脳裏を掠める。

空の交通と海の交通。5人の建築家が地に足のついた作品を作ったのに対し、有馬純寿と港千尋の2人のアーティストが、コンテナを移動する手段として表現したのは大変興味深い。

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モニター −絶対零度の仮想都市−


建築と時代速度


UNIT 5:速度と消失(隈 研吾)
空間対象領域:モニター
身体度:−1
形態−/運動−/色−/明暗○/音−/匂い−/触感−/モニター◎
キーワード:建築と時代性/インスタレーション

ある流れの中に円柱を置く。流れは円柱という抗体を避け、再びもとの流れに戻る。ここで問題としているのは、流れがどのように流れていくかである。速度が小さい時は左右対象に流れていくが、ある速度を越えると円柱の下流に不規則な渦が生まれる。これをカルマン渦という。
円柱を建築、流れを時間に置き換えると次にようになる。例えば15世紀ルネサンスの時代に生まれた住宅を考えてみる。数十年後に家族構成が変わることはあるだろうが、部屋数が多くなったり少なくなったりする程度で、それほど生活の変化はないだろう。それから2世紀、3世紀たったとしても、まだ自動車も発明されず、その住宅では対応出来なくなるほどの著しい生活様式の変化はなかっただろうと思う。しかし、21世紀を目前に控えた現代、時代の速度は著しく上昇してしている。十数年前に生まれたインテリジェントビルは、昨今の情報化社会にどれほど対応出来ているのだろうか。また増築するためのシステムを計画に取り入れた建築の典型に図書館があるが、図書の電子化が進む中、これまでのように数年後の蔵書数の増加を見込んだだけで建築が対応していくのは難しい。極論すれば、各自の住宅の中のデスクトップコンピューターだけで過去の図書館の役割は事足りるかも知れないのである。
建築は時代のスピードに耐えていけるだろうか。カルマン渦を考慮に入れたデザインがあるのではないか。
隈研吾はますます速度を増すであろう社会の中での、建築のあり方をモニターを用いて示唆しているのである。

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仮想都市の可能性


UNIT 7:生命都市 −インダクションシティズ(渡辺 誠)
空間対象領域:モニター
身体度:−2
形態−/運動−/色○/明暗−/音−/匂い−/触感−/モニター◎
キーワード:仮想都市/誘導都市/トランスカオス

コンピューターの意義の一つに高度なシミュレーション機能があげられるが、それによって初めて可能となる研究というものがある。生物の進化を研究するためには、過去の生物のサンプルを必要とするなど多くの障害があり困難であったが、コンピューターの発達によって生命進化の研究の可能性が広がり始めている。例えばコンピューター空間上に単純な仮想生物を創造し、簡単なコード(一人で立てないものは死ぬなど)を与える。すると仮想生物はモニターの中で次第に進化していき、やがて多様な種類の生物が誕生していく。それらの仮想生物はあたかも地球上で見られる生物と似通った動きをしており、ややもすると現実の生物の進化過程もこのように単純な仕組みによって成り立っているかも知れないのである。
今世紀半ば建築家は競って、都市を設計してきた。しかし、モダニズム以降「こうすればこうなる式」のツリー構造の都市計画で都市をコントロールすることの限界を感じ、建築家の関心は単体の建築へと向けられた。建築家が都市や界隈を設計しても、イメージ通りには使用されない。仮にあらゆる可能性を考慮し、考えられるだけの膨大なデータ(設計与条件、経済、市民の状況等)を用いて設計しても、必ず予測不可能な事態が生じてしまう。では建築家は都市に対してどのようなスタンスで臨めばよいのだろうか。渡辺誠はここ数年間に「都市は設計できない、誘導することだけが可能である」という命題を掲げ、コンピューターシミュレーションを使った試みを行ってきた。それは仮想の都市空間に、あるコードを設定することで多様に展開していく誘導都市である。
今回の渡辺誠の作品は2つのテーマによって構成されていると言えよう。ひとつは誘導都市という仮想空間の設計、もうひとつは言葉すなわち観念をやり取りするディスカッションという形式に対する問題提起である。
渡辺誠のコンテナの中には2台のコンピューターがある。ひとつめのコンピューターには「都市コントロール不可能」を裏付けるカオスや形態や進化、複雑系などに関する諸理論を展開している何人もの科学者と渡辺誠との対談が収められており、もうひとつのコンピューターは、渡辺誠が科学者との対談からインスピレーションを受けデザインしたいくつかの都市を、ヴァーチャルリアリティで体験できるようになっている。仮想空間に対する建築家の挑戦と言ってもいいだろう。
建築デザイン会議ではこれまでに何人もの参加者が限られた時間の中でテーマを絞り、議論を重ねてきた。人間はディスカッションの中で、あるテーマに対して答を見つけよう、収束させようという欲求を持っているにも関わらず、実際は拡散していく。言葉ひとつをとってみても、発信者/受信者の間で意味振動を持ったまま伝達され、正確に伝わることはない。(例えば、2年前に東京で行われたデザイン会議の中で、メディアという言葉を、伊東豊雄は「映像音響メディア」という狭義の意味で使っていたのに対して、槙文彦はマーシャルマクルーハンの「人間の諸機能を拡張したもの」という広義の意味で使用していた。)そのような理由でひとつのテーマが数分後には複数のテーマに膨れ上がり、そのうちの一つが偶発的に選ばれ、言いたいことも言えないまま、時間切れに終わる。結局、そこにはたまたま生まれた場と時間があるに過ぎない。観衆がそこに来れば、あるテーマが体系的に理解できるというものではなく、たまたま生まれたものを断片的に吸収して帰るだけである。つまりそこに発生する情報を全て捕えること自体不可能であり、観客が勝手に時間と場を取捨選択することしか出来ない。渡辺誠は、トランスカオス東京と名付けられた93年のデザイン会議の実験的試み(両国国技館の中央にはグループごとに分かれた建築家達がテーブルを囲んで議論しており、観客はトランシーバーでテーブルごとのチャンネルを任意に選び、会議の模様を断片的に映し出した四方の大スクリーンを見る。)を今回はコンピューターを用いて行ったのである。つまり、関心がある観客はゆっくりとモニター上で対談を聞き、キーワードからキーワードへとトリップする。時間があれば、さらに先へ進む。同じキーワードを読むのでも、A→B→CというルートとC→B→Aというルートでは、観客にとっての印象や理解が違ってくる。渡辺誠は会議場でのディスカッション形式をとらず、ハイパーテキストを使って自らの思想を表現した。
また、渡辺誠はドックヤードガーデンという場に対して金色のコンテナという答を出してきた。科学者との対談の中でも触れているが、ものごとは相互作用を起こし、常に変化していくため、100%純粋なある状況を維持するのは困難である。作品が環境からの影響をなるべく受けないようなバリアーとして、最も安定度の高い金属である金色を用いたのである。

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新しい建築家像


未来空間ミュージアムの開催期間中、ある時は事務受付として、ある時はボランティアスタッフとして、ある時はキュレーターとして建築家・アーティストの作品に触れてきた。その中で何よりも感じたのは建築家と来場者との深い溝であった。日誌にも書いたが、普通の主婦など(以下生活者)は建築展という言葉から芸術や作品というものを連想しない。たいていは自分の生活空間と照らし合せる。おそらく来場者の多くは「未来空間ミュージアム」というタイトルを見て「未来の生活空間が展示されている場所。映画『トータルリコール』のように映像が出てくる壁や『ドラエもん』のどこでもドアなど」を期待してドックヤードガーデンに降りて来たのではないかと思う。しかし、彼らが見たものは「発砲スチロールの物体」と「大きな彫刻」と「ベッド」と「花」と「なかなか始まらないテレビ」と「ちょっと暗くて面白い部屋」と「コンピューター」であった。来場者の期待は見事に裏切られたのであった。
作家と鑑賞者との間に溝が生まれた原因は今回の展示形式にある。ギャラリーや美術館で開催される「建築展」のように、有料であったなら、出展する作家とそれを鑑賞しにくる観客との間に根本的なずれは生じなかったであろう。しかし、展示形式をどうこう言う前に建築家/作家と生活者とのギャップが生まれること自体に問題があるのではないだろうか。
建築家が社会を読み、人間を読み、未来を読む。それは大変重要である。しかし、その先に何があるのか。「こういうことが分かりました。だからこうしましょう。」というように社会に提示することが必要である。そうでないとマスターベーションで終わってしまう。世界を読み抽象化した概念を生活レベルまで具体化して、初めて生活者に理解してもらえる。それは「建築に何が可能か?」という問い掛けでもある。
Architectは日本では建築家と訳されているが、元来はもっと広い意味で使われていたのだろう。コンピューターでArchitectureと言えばコンピューターシステムの設計概念であり、接頭部のArchiは「首位の」「原…」の意味を持ち、the Great Architectと言えば「神」を表している。何が言いたいのかと言うと、つまりこうである。
「Architectは社会的に重要な位置づけにあり、責任を負っている。それは単に建築というハードを設計するに留まらず、人々を幸せにするために、ある概念・システムを具体化し社会に還元する者である。つまり狭義の職能である建築家というよりもむしろ生活全般と社会を作り上げる構築家と呼ばれるべきであり、ましてはマスターベイターなどではない。」


これが、ドックヤードガーデンの11日間で私が感じたことである。

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「新しい意味での建築家という職能が必要」入江経一
「建築だけが人を救済できる」荒川修作

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